【3.11東日本大震災】あの時を思う

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こんにちは、外食15年生の外食一兵卒です。

タイトルと投稿日にラグがあります。

本当は当日に投稿したかったのですが、少々立て込んでました。

今日お休みをいただいていたので、ゆっくり考えていこうと思います。

3.11あの時

2011年3月11日は金曜日でした。

午前中に会議があり、午後はお店に戻り、事務仕事をする予定でした。

店長室でシフトを組んでいると、私の背後の冷蔵庫・冷凍庫がやたら揺れていることに気づきました。

たまたま居合わせたアルバイトさんと、「なんか揺れてない?」と話していた刹那

大きな揺れが襲い掛かります。

たしか一度目の揺れは大きかったのですが、時間は短かった気がします。

慌てて、店長室のドアを開けて、店内に戻りました。

他の従業員も、お客様も「大きな地震だったね」という感じで、まだ冷静でした。

駅の中のお店だったので、駅の緊急アナウンスが店内にも流れてきました。

その際、店内BGMを流したままにしていたので、緊急アナウンスが聞き取りづらく、お客様にお叱りを受けてしまいました。

しかし、その後に大きな揺れがあり、パニック状態になりかけました。

全てのお客様を店外に避難させ、従業員も全員が帰宅できる範囲内だったので、帰宅してもらいました。

駅のモニターには、東北地方の被害状況が映し出されていました。

当日はお店をそのまま閉めて、私は徒歩で帰宅します。

お店から自宅まで約14㎞です。

3月といっても、昼頃は暖かいのですが、夕方以降は肌寒かったのを覚えています。

駅は帰宅難民で溢れかえっており、多くの人が駅構内で寒さを凌いでいました。

私は駅のトイレで用を済ませて、出発しました。

国道沿いに歩きましたが、同じように歩いて帰られる方が多数いらっしゃり、長蛇の列が出来ていました。

途中、寒さで用を足したくなってしまいました。

国道なので、もちろんトイレがあるお店はたくさんありましたが・・・

地震の影響か、水道設備が使用不能となりトイレも貸してもらえない状況でした。

長蛇の列なので、隠れてその辺りで、という訳にもいかず、自宅まで我慢しました。

3時間弱歩いて、見知った景色が目に入ったときの安心感は今でも忘れられません。

震災の翌日以降

翌日の12日、13日は短縮ながら営業しました。

しかし、地震の影響で食材を揃えられずに、限定メニューとなってしまいました。

それでもお客様は来てくださり、何とか従業員を集めて辛うじての営業です。

14日の月曜日はJRが急遽全路線をストップさせたので、休店になりました。

14日以降は計画停電も始まり、日常が大きく変わっていくような感覚です。

日用品の調達が難しくなってきたのも、この頃からです。

とにかくトイレットペーパーがなかったです。

幸い、私の実家が近くにあり、ストックがあったので、自転車で受け取りに行きました。

自転車の前カゴにトイレットペーパーを入れていたので、周りの目に注意しながら、往復しました。

当時は、大規模施設のエアコンやエスカレーターも節電で弱運転もしくは停止していたので、今のコロナ禍とは少し異なる日常生活の制約が続きました。

そして、いま

いきなり時間軸が戻ります。

今はコロナによる日常生活の制約を受けています。

10年前もそうでしたが、今も昔も、人が支え合うことで難局を乗り切っていけたと思います。

このコロナは特に外食業界に大きなダメージを与えています。

自分も余裕がなくなり、他人を助けるなんて出来ない!なんて、時々思ってしまいます。

でも、地震のときも何だかんだで、周りに助け助けられ、乗り切れたのも事実。

自分に余裕がないながらも、ほんの少しでも、自分の周りの人を助けていきたい。

自分が苦しいときは、周りも一緒。

そんなことを改めて思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。